~箱崎協定による国境石―從是西筑前国~ 82011年6月15日 16:17

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 筑前黒田藩と豊前小笠原藩との界は、中原・金毘羅山・荒尾田・大蔵・田代などでよく紛争が起こっていた。境界は古くは川、山の地形、植樹した林、祠などでなされており、一應正保年間に大まかな国繪図が出来ていたが、元禄時代になって時の幕府から石高その他の検地の必要から、諸藩に国繪図の提出を求められた事から国境紛争が表面化した。
 そこで元禄13年、筑前国箱崎村に両藩相寄って境界線を協定し、国境の印石を建てる事を決め元禄15年中原から大蔵、田代に至るまで18基を建てた。
 これが箱崎協定といわれるものである。現在14基が残っており、当時の位置のまま残っているものは6基となっている。