戸畑区役所の前庭に国境石と並んで河白斗島記念石がある。若戸大橋の下、戸畑側海中に周囲500m程の小島があった。通称「中の島」と言ったが、筑前風土記には「河白斗島」と訓まれている。戦国時代から城があったといわれ、慶長年間に黒田長政の出城があったが、幕府の一国一城令により元和元年取り壊された。
明治になってコークス工場、貯炭場、造船場があったが、洞海湾の発展に合わせて昭和15年切り除いた。その島の石を残して記念石としている。
明治になってコークス工場、貯炭場、造船場があったが、洞海湾の発展に合わせて昭和15年切り除いた。その島の石を残して記念石としている。